片手練習をサボりがちな全てのピアノ学習者の方たちにぜひ読んでいただきたい。
片手練習で意識そのものを分ける
片手だと弾けないけど両手で弾けるんだからいいじゃない!
こういう生徒さん本当に多いです。
はっきり言いましょう。
ちっとも良くないです。
弾けてると思うのは錯覚です。確かに両手だとそれなりに聞こえたりする場合もありますが片手で弾かせると弾けなくなってしまうのは弾けてるうちに入りません。
ではなぜ両手だと弾けてると思い込むのかというと、両手の動き全部含めてバランスが取れちゃっているからです。右手がこういう動きの時に左手がああいう動きするという具合に一連の動作として身についてしまっているからです。
例えるなら歩いている時
どゆこと?
歩いているとき右足出したとき右手はどうなってるかとかいちいち考えて歩かないでしょ。
それだとピアノはだめなの
自分の出してる音、動かしている全ての指の意識が必要なんだね
両手を使う目的が1つだったらそれで良いのです。
例えば、両手を使って1つのメロディーを奏でるリコーダーならドミソーのために両手を使いますし、トライアングルもキラリン✨と音を出すために右手と左手の役割が違えど両手を使いますが目的は1つです。要は同時に音が2つ以上出ない楽器の場合はそれでいいのです。
ただピアノは違います。
これがピアノが楽器の中でもむずかしいと言われる部分なのですが、ピアノの場合は役割分担がいくつかに分かれるので、意識そのものを分けなければならないのです。
ちゅうりっぷとかえるの歌を一人で弾けますか?
ちゅうりっぷなら右手だけで簡単に弾けると思います。
カエルの歌も左手だけで簡単に弾けると思います。
ただ、これを両手で一緒に弾くと途端に難易度100倍になるはずです。頭の中で意識を別々にしなければなりません。
そんな聖徳太子みたいなこと・・
ただこれも何十回と練習しているうちに、体が覚えていってできるようにはなります。そこで大事なのが頭の中で別々に「ちゅうりっぷ」と「カエルの歌」が意識されているかどうかなのです。
ピアノで両手を弾くようになった時、まず最初の段階で出て来るのが「伴奏」と「メロディー」の役割分担です。
導入期の両手では左手が「ドー」だけとか「ソー」だけとか極めて簡単なものに右手のメロディーが乗っかるという形から学んでいきます。
実はこの段階から
「左手は小さくよー」
「右手はおうただから大きくねー」
などと意識を分ける訓練をしていきます。
そして意識する子ほど別々に頭の中で音が聞こえて来るようになりますし、コントロールもできるようになって来ます。いきなり最初からできる子はいません。
右手が大きくなったら左手も大きくなるし、
左手が小さくなったら右手も小さくなります。
なるなるー
よかったぁ。みんないっしょ
そしてもっと進んで曲が複雑になってくると、音も多くなりますしリズムも両手バラバラになってきます。最初を疎かにするとエライことになってしまいます。
それから先ほどの「ちゅうりっぷ」と「カエルの歌」の例に戻りますと、ちゅうりっぷを奏でる時の抑揚とカエルの歌の抑揚はそれぞれ違いますが、両手ばっかりで動きだけの練習をしていると、この抑揚が片方よりになってしまうのです。
これが一番の問題です。
ワルツの曲のように左手が「ずんちゃっちゃ」のものに綺麗な右手のメロディー曲の場合、両手の練習ばっかりしていると、抑揚や歌い方が「右手より」の演奏になってしまうわけです。つまり左手の「ずんちゃっちゃ」が右手のノリになってしまって役割分担がはっきりしない演奏になってしまうわけです。
これはピアノを弾く上で重大な問題なのです。
ピアノの先生は一発でこれを見抜きますので、片手練習サボっている子はすぐバレます。バレるのが問題というよりも、役割分担ができていない演奏になるというのが問題なのです。
この訓練は非常に大事ではありますが、大変むずかしく時間がかかります。
一歩ずつだね
そのためにクラシックピアノ学習者は何をやるかというと、音楽の父バッハ様の曲を練習します。
なぜバッハは弾きずらいのか、なぜバッハの曲は暗譜しずらいのか、なぜピアノの先生はバッハをやらせるのか、なぜバッハの曲は必ずといっていいほどコンクールの課題曲に入るのか。
バッハで苦労されてる方、ちょっと答えが見えてきませんか?
そしてこういった特殊能力を身につけるために、バッハを弾くだけはなくソルフェージュというものを勉強していきます。
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ソルフェージュ・楽典ってなんのためにやるの?
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