日本人初の女流ピアニスト久野久(くの・ひさ)さんをご存知でしょうか。
私は昔、ピアニストの中村紘子さんの著書「ピアニストという蛮族がいる」という本を読んで初めて知りました。
感想をひとことで言うのなら
なんと言う悲劇なのか
YouTubeにも久野さんのことが番組になっていたものがあったので、みてみました。おおむね中村紘子さんの本の内容と同じです。
ざっくり説明すると
- 3歳の時に神社の階段から落ちて一生残る障がいが足に残る
- 障がい者には厳しい時代でもあったため、心配した兄が自活できるように音楽家への道を進める。
- 14歳で東京音大へ入学
- 死にものぐるいで練習し、大学でも好成績をおさめピアニストになる。
- 文部省から「世界に通用するピアニストだ!本場でその実力を示してこい!世界制覇だ!」と言う理由でヨーロッパ行きを命令される。(ここから悲劇の始まり)
- 生まれて初めてヨーロッパで本場の音楽に触れた彼女は、当時の著名なピアニスト、ザウアー氏に弟子入りする
- 弟子入りが決まって喜び、ここからようやく一歩踏み出せるとウィーン・ベルリン・パリ・ローマでの演奏会開催を夢見る。
- 最初のザウアー氏のレッスンで「基礎からやり直しましょう」と言われる。
- ホテルの屋上から飛び降りて自殺する(享年38才)
こんな箇条書きでひとことで説明するのは失礼とは思いつつ、興味を持ってもらいたい気持ちからとりあえず概要を示しました。
彼女の壮絶な人生については本を読むか、動画をみればわかるのであえてこれ以上は説明しません。
はっきり言って、久野久さんのことを知ってもピアノを弾くにあたって参考になるものはありません。
ではなぜ知ってほしいかというと
まず1つ目は
日本のピアニストの第一号はどんな感じであったのか。
次に2つ目は
西洋と日本の音楽文化のギャップがどれほどであったのか。
特に2つ目の文化の違い、すなわちクラシック音楽の歴史の長さは我々日本人とは大きくかけはなれているということを知るのはとても大切なことです。
例えばバロック時代の曲、バッハが代表的ですが、ピアノやってる方達は
メヌエット・ガボット・アルマンド・ジーグ・クーラント・サラバンドなどの舞踏の曲を勉強しますよね。
特に最初に触れるのはメヌエットが多いと思います。
ではメヌエットとはどのように弾けばいいのか?となった時に
「どんな踊りなのか?」「どんな時代だったのか?」「どんな服装だったのか?」
ということを知らなければ、理解できないのです。
『フランス起源のメヌエットはルイ14世の時代に最も重要な舞踏として宮廷に取り入れられました。』
この一文だけでも

あー、あの動きにくそうなウエストを締め上げた重そうで豪華のドレス着て、髪も重そうで、靴もコツコツしたやつで踊るのね。しかも宮廷でってことはヴェルサイユ宮殿とかあんなすごいお城で貴族たちが踊るわけね?
って想像つきますよね。
そうすると、異様に速いテンポで弾くのは絶対違うし、優雅で気品のあるものが求められるということもわかるし、あの服装でできる動きを想像すると柔らかな躍動感や軽いステップくらいしかできないだろうな?って想像できると思うのです。
で、ここまでを前提として曲に取り組むわけですが、やっぱりこれって勉強しないとわからない。
ヨーロッパは1600年代からこういう文化がずっと続いてきていますが、日本は1600年代って何してたでしょうね?
江戸時代っぽいですね。
徳川家が大活躍してて、鎖国とかやってたみたいです。
久野久さんがヨーロッパに初めて訪れたのが大正12年。
西暦1923年です。
1923年って、ラフマニノフがもう50才になってる頃です。
ラフマニノフと言えばもうどっちかというとロマン派から近現代に移行するくらいの頃です。
そこまでヨーロッパの音楽史は進んでいるのに、日本ではようやくクラシック音楽が日本に入ってきたばかり。当然ものすごく遅れているのは言わずもがな。
そんな状態で
「君はもう世界で通用するピアニストだ。その実力を本場欧州で示してこい」
と言われても・・・
これが久野氏にとってどれほど残酷であったのかはもう筆舌に尽くしがたい。
それにしても中村紘子さんの文章は素晴らしい。
もし興味がある方は本の方をぜひおすすめします。
同じように国産ピアニストとして大活躍したのちに海外で苦労された経験もあることから、同じピアニスト目線として説得力のある見解が書かれてあります。
