感動屋さんになろう
よくピアノ学習者はこんなセリフを先生から聞くと思います。
あとコンクールの総評などでもそうだし、書籍なんかでもよく書いてあります。
- その時代のことをもっと勉強しましょう
- 音楽だけじゃなく、絵を見たり本も読みましょう
- その作曲家の他の作品も聴いたり弾いたりしましょう
こういうお話よく耳にしませんか?
私はコンクールの付添いで総評を聞くときなんか必ずと言っていいほど耳にします。
それに自分でも言います。
大人の生徒さんがドビュッシー弾いてる時なんかは「水彩画見ようよ」「印象派の絵画見ようよ」などとよく言っています。
図書館に行けば素晴らしい画集が無料で見られるし、もちろんネットで検索したって山程でてきます。
美術館に行くのが一番いいのですが、そんな世界の名画が簡単にみられるわけではないので、画集で十分かな、と。
でも、興味ない人には全然実行してもらえません。
大人でも「えー」とか言われます。
そして「えー」という割に「素敵に弾きたい」とか言ってる方には
「まずその感性なんとかしてくれ」と思っています。
でもふと思いました。
興味がないのに、言われたからと義務感で絵を見たからって別に意味ないな、って。
印象派の絵画の知識が多少増えたからといっても、そこに感動も何もなければ演奏には何も反映されないな、って。
まず何でもいいから感動してほしい。
知人の声楽家は感動屋さんなんてもんじゃなくて、レッスンでも泣いています。
曲が素晴らしすぎて歌っていて感動のあまり涙が止まらなくなるそうです。
彼女の先生は「すぐ泣いちゃうからレッスンにならなくて〜」と仰っていますが、先生もつられて二人で泣いているようです。不思議なレッスン・・・
ちなみにこの声楽家の彼女はめちゃくちゃ上手いプロです。もちろん本番では泣きません。音楽に限らず美味しい食べ物でも美しい景色でも人一倍感動しています。感情豊かな彼女は当然彼女の音楽にも反映されているので人々は魅了されます。
感性とテクニック
「素敵だな」と思う気持ちが強い人ほど表情豊かな演奏と比例していると感じます。
ただ、楽器の難しいところは、
いくら思いが強くてもその思いが伝わるテクニックを持たなければ相手に伝わらないところです。
例えば、すごく美しい景色を見て、震えるほど感動して興奮しているとします。
「この10年に一度しか見られない瞬間に立ち会えたことの喜びに今全身震えています!幻想的で神秘的な素晴らしい景色!今感動で涙があふれてきました」
と、これくらいの感動を
「はい、アラビア語で言ってみて」
って言われたらどうでしょうか。
とりあえず、辞書で「わたしは」とか「景色」とか「すばらしい」とか調べてカタコトで二言くらいの単語は出せるかもしれません。でも感情を込めてなんて到底無理なはずです。
ではちょっとレベルアップして、誰かが翻訳してくれて、カタカナふってくれてそれを棒読みにした場合、意味は通じると思いますが感情の熱量は伝わらないと思います。
じゃあもういっそ開き直って全部日本語で泣きながら先程のセリフを訴えたとしたら、多分これは「あ、よろこんでるな」「感動してるらしい」という感情の熱量は意外と伝わります。「すごい興奮してるな」とか。ただ具体的に何に感動しているのかまでは到底伝わりません。
実はピアノもこれと同じことが言えます。
「きれいだな」と思っていてもきれいに弾かないと伝わらないし、
「激しくてカッコいいな」と思っていても、迫力のある音でスピードを出さないと激しくなりません。
「ワルツって優雅ね」と思って気分良く弾いていても「ズンチャッチャッ」が「ズンズンズン」だと優雅に聞こえません。
「水の流れのように」と思って細かい音符をたくさん弾いても、粒が揃って自然な抑揚がなければ機械のようになってしまいます。
「バッハ素敵♡」と思ってバッハを弾いても、バッハの弾き方を学ぶ、2声、3声の訓練をしなければバッハには聞こえません。
取り上げたらキリがありませんが、表現したいことがあるならテクニックや知識は不可欠なんです。
ただ、一つ言えることはその曲への思いが強かったり、楽しい気持ちがあればそれは伝わります。
先程の例の「日本語が伝わらない外国人でも感情の熱量は伝わる」ってやつです。もちろんこのことは大前提としてとてもとても大切です。
是非普段から、映画でも景色でも本からでも色々なものから刺激をうけて、感情豊かに過ごしましょう。
そして難しくて弾くだけで精一杯という曲をやっている方は、たまには易しい曲を弾いて、自分のテクニックで表現できる楽しさ、自分の言葉として伝えられている気持ちよさを味わってみませんか?